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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)9356号 判決

原告 寺迫道隆

被告 国

訴訟代理人 横山茂晴 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告は「被告は原告に対し二〇〇万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

二、原告は請求の原因として次のとおり述べた。

1  原告は昭和二二年一〇月一一日に簡易裁判所判事に任ぜれ同日大月簡易裁判所判事に、昭和二十五年八月八日には厚木簡易裁判所判事に補せられ、以後その職にあつたが、昭和三二年七月一五日に裁判官訴追委員会より罷免訴追され、昭和三二年九月三〇日に裁判官弾劾裁判所の判決により罷免された。

2  原告の罷免は国の公権力の行使に当る公務員たる当時の東京高等裁判所長官安倍恕がその職務を行うについて故意又は過失により違法に原告の退官願の進達を怠つた結果である。

(イ)  昭和三二年六月一日原告に対し裁判官訴追委員会の調査があつたので同三日横浜地方裁判所長と協議した結果、原告は、裁判官全体の名誉を毀損するような事態に至らぬよう、裁判官罷免訴追は裁判官を辞職させようとするのが目的であるから原告自ら退官願を提出すれば事なく済むと考え、同年八月に同所長に退官願を手交して進達方を一任し、同所長は即日原告の退官願を東京高等裁判所長官安倍恕に手交し事情を具して進達方を依頼した。

(ロ)  ところが同長官は原告の退官願の進達を理由なく三七日間も怠り昭和三二年七月一七日に至つて最高裁判所に進達したが、その間に原告に対し訴追がなされた結果、原告の依願退官は不能となり罷免されるに至つた。同長官が原告の退官願を正当の理由なく長期に保留した行為は長官の職務を行うについて故意または過失により違法に原告に損害を加えたものである。

3、原告はその結果一時恩給ならびに退職金の喪失、弁護士資格五年間停止、弾効裁判所訴訟費用等の損害三二〇万円と三〇〇万円に相当する心身上の損害を蒙つた。よつて右損害六二〇万円のうち二〇〇万円の支払を求める。

三、被告指定代理人は答弁として次のとおり述べた。

1  原告請求原因第1項の事実は認める。

2  原告請求原因第2項の事実のうち、(イ)の事実ならびに東京高等裁判所安倍長官が原告の退官願を昭和三二年七月一七日に最高裁判所に進達したことは認めるがその余は争う。

(イ)  安倍長官の退官願保留行為は違法でない。

高等裁判所長官が管内裁判所勤務裁判官から退官願の提出を受けた場合、これを直ちに最高裁判所に進達しなければならない法律上の義務は存在せず、諸般の事情によりその進達時期を決定することは当然である。

(ロ)  原告が本訴で主張している損害は弾効裁判所の裁判によつて罷免されたことになる損害であるが、原告の罷免は原告に罷免事由該当の非行があつたためである。不法行為法において対象となるべき損害は被害者をして終局的に負担させることが相当でない損害に限られるべきで、罷免事由の存在する限り罷免に基く損害賠償を請求しうべきではない。

3  原告主張第3項の事実は争う。

四、証拠〈省略〉

理由

一、原告が昭和二二年一〇月一一日に簡易裁判所判事に任ぜられ、昭和二五年八月八日に厚木簡易裁判所判事に補せられ、以後その職にあつたところ、昭和三二年七月一五日に裁判官訴追委員会より罷免訴追され、昭和三二年九月三〇日に裁判官弾劾裁判所の判決により罷免されたことは当事者間に争ない。

二、原告は右罷免は安倍東京高等裁判所長官が原告の退官願の進達を違法に怠つた結果である旨主張し、被告は同長官の行為は違法でなく、かつ原告の罷免に相当因果関係がない旨主張する。右の点について当裁判所は次のように考える。

(一)  何人も公共の福祉に反しない限り職業選択の自由を有するものであつて、裁判官なる職業もその意に反して強制されるべきではない。従つて裁判官より退官願の提出された場合行政事務担当者はできる限り速かにこれを任免権者に進達し、任免権者はこれを受理するべきであつて、進達ないし受理を正当の理由なく甚だしく遅滞させることは不当である。

本件の場合原告が昭和三二年六月八日に横浜地方裁判所長を介して安倍東京高等裁判所長官に退官願を提出したこと、同長官が原告の訴追された同年七月一五日まで右退官願を最高裁判所へ進達しなかつたことは当事者間に争なく、右遅滞は特別の事情のないかぎり必要以上に長期に過ぎたというほかない。

(二)しかし退官願の進達の遅滞は通常退官願の受理、従つて退官時期の遅延の結果を生ずるに止まり、仮にその間に訴追がなされたとしても原告に罷免されるべき事由が存しなければ罷免の結果は生ずることなく更に退官の時期が遅延する結果を生ずるにすぎない。ところで原告の主張する損害は罷免による損害ないし罷免の裁判の結果償えなくなつた損害であるから、原告主張の右損害は本件退官願進達の遅滞により通常生ずべき損害ということはできず、その間に因果関係はない。

(三)  あるいは原告は退官願の進達が遅滞するならば原告に罷免の結果が生ずることを安倍東京高裁長官は知つており、従つて罷免に基く損害を特別損害として請求しうる旨主張するものであるかも知れない。しかし右のような事情があつたとすれば、安倍長官が退官願を即時に進達したとしても原告としては次の理由により訴追前の退官を期待できないのである。

(イ)  裁判官弾劾法第一五条第二項によれば高等裁判所長官はその管轄区域内の下級裁判所の裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは最高裁判所長官に対しその理由を通知しなければならない旨定められ、同第三項によれば最高裁判所長官は裁判官について前項の通知があつたとき、又は弾劾による罷免の事由があると思料するときは訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない旨定められている。また同法第四一条によれば罷免の訴追をうけた裁判官は本人が免官を願い出た場合でも弾劾裁判所の終局裁判があるまではその免官を行う権限を有するものにおいてこれを免ずることができない旨定められている。

(ロ)  右の規定からすれば訴追の目的は裁判官の退職により当然に果される性質のものとは考えられず、訴追委員会に最高裁判所より罷免の訴追をなすべき求めがある場合に任免権者において退官願を受理することは矛盾であり右規定の趣旨に反するものと考えられるから、最高裁判所長官より罷免の訴追をなすべき旨求めた場合は退官願が提出されたとしても任免権者は直ちにこれを受理して免官することなく訴追委員会の態度決定に待つべきものと考えられる。

(ハ)  本件の場合仮に安倍東京高裁長官が原告に退官しなければ訴追をうけて罷免されるべき事情すなわち罷免の事由があることを知つていたとすれば、同長官としては前記規定に従つて同長官としてはその旨を最高裁長官に通知せねばならず、その結果訴追委員会に対し罷免の訴追の請求がなされることになるわけであり、原告としては退官願が即時に進達されていたとしても、それが受理されて訴追前に退官できることを期待すべき限りではないことになる。

したがつて原告の場合特別事情による損害として退官願の進達遅滞と罷免ないし訴追による損害との間に因果関係があるものと主張すること自体が失当である。

三、以上の理由により原告の主張はそれ自体失当であるから、さらに審理するまでもなく、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三淵嘉子 畔上英治 花田政道)

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